阿那律(あなりつ)
サンスクリット語でアニルッダ(aniruddha)。
阿泥盧豆、阿奴律陀、阿那律陀等と音写、アヌルダ、アニルッダ等と 表記され、如意、無滅、善意などと翻訳する。

 

彼の出身や身辺には諸説あるが一般的には次の2つがある。1つは釈迦族の斛飯王(ドロノダーナ)の太子だったという五分律の説。  
2つ目は釈迦族の甘露飯王(アムリトダーナ)の太子という大智度論の説。いずれも釈迦の従弟ということで釈迦族出身だったと思われる。
出家の動機   釈迦仏が故郷カピラ城に帰ると難陀(ナンダ)、羅候羅(ラーフラ)がまず仏弟子となるや、   釈迦族の青年5百人が出家することになった。その中で阿那律も兄の摩訶男と相談して 彼が出家することになったという。
出家直後の説話   釈迦族出身という高い身分での出家であったが、出家後、カースト制度では下層であるスードラ出身で調髪師だった優波離(ウパーリ)が、諸国の王子を差し置いて釈迦より先に出家を許されていたため、阿那律ら諸国の王子たちは先に弟子になった人に礼拝し挨拶しなければならないという儀礼を受け入れ、優波離に礼拝すると釈迦から 「よくぞ釈迦族の高慢な心を滅した!」と讃じられたという。
天眼第一の阿那津はのちにコーサラ国の舎衛城にあった祇園精舎での釈迦の説法中に眠ってしまい、釈迦より叱責されると、不眠不休の誓いをたて、常坐不臥の修行をした。これには釈迦仏も心配され、眠ってもよいと諭されたが、彼はその誓いを全うしついに失明 してしまった。しかしその失明により天眼を得たとされる。   釈迦仏が最後の布教の旅にも同行し、釈迦仏入滅において慟哭し悲嘆する弟子たちを慰め励ました。

 

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