「富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)」  
サンスクリット語でプールナマイトラーヤニープトラ (puurNamaitraayaniiputra)。  略称として「富楼那」。  

説法第一と謂われている富楼那は十大弟子中で最古参。 大勢いた弟子達の中でも、弁舌にすぐれていたとされる。 正しくは富楼那・弥多羅尼・弗多羅 (プルナ或いはプンナ・マイトラヤニー 或いはミトラヤニー・プトラ)といい、弥多羅尼は母の名で、 弗多羅は子を意味するので、富楼那弥多羅尼子とも書かれる。 ほとんど知られていないその生涯ではあるが、釈迦とは生年月が同じだったという。 幼くして既に聡明で、バラモンの四ヴェーダ(聖典)と五明(声・因・医・工・内)に通じていたが、世塵を厭うて雪山(ヒマラヤ)に入山学道し、苦行を重ねて四禅定と五神通を得たが、釈迦の成道を聞き、波羅奈(パラナシー)国の鹿野苑へ同朋と赴き仏弟子となった。 後に阿羅漢果を得て各地に赴き、よく教下の実を挙げ、99000人の人々を教下したという。 また、一説には富楼那は貿易商を営み巨万の富を得ていたが、彼の商船に乗り合わせた商人から釈迦の説法を聞き即座に出家を決め自身の財産を整理し釈迦の元へ行ったとされている。 いずれにしても富楼那の説法は教えを求めてやってくる人へ対機説法の釈迦のように自由自在の語り口で分かりやすく説いたことにより多数の人を教下し慕われたと謂われている。

 

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