「摩訶迦葉」(まかかしょう)
パーリ語でマハーカッサパ(Mahaakassapa)、 サンスクリット語でマハーカーシャパ(Mahakasyapa)。 迦葉尊者(尊者は仏弟子中の長者としての敬称)、 大迦葉(だいかしょう、Maha-ka-s'yapa)とも呼ばれる。

頭陀第一(ずだ)と称せられ、頭陀修行に秀でていた。 (頭陀修行とは衣食住への欲望を絶つという修行その修行を守り続けたから第一と称された)
迦葉の名は古代インドではポピュラーな姓名であったといわれ、仏弟子中には三迦葉という三人兄弟や十力迦葉という名前も見受けられるが、十大弟子の摩訶迦葉とは別人である。
出生はマガダ国の王舎城付近の摩訶波羅陀(マハーハーダラ)村のバラモンである尼拘律陀羯波(ニグローダ・ゴーパ)の子で、畢鉢羅樹(ピッパラ=菩提樹)の下で生まれたので、幼名を畢鉢羅耶那(ピッパラヤナ、ピッパリ)といった。

自分の出生と同等のバラモンの女性と結婚し、12年目に父母を亡くして妻ともども出家した。財宝を他人に譲り、僧伽梨(そうぎゃり)を身にまとって遊行する途上で釈尊と巡り会って弟子となった。以来、少欲知足で、峻厳な求道生活を貫き、法華経授記品第六では光明如来の授記を受けている。
 
釈尊入滅の悲報に接したときは波婆国で弘教中であったが、 即刻、五百の弟子と共に拘尸那国に戻り、涕泣して仏足を拝し、荼毘の儀式に参列して仏典結集を決意した。

釈迦滅後は、五百の阿羅漢を集めて(一説には千人の比丘が集まったとも言われている)迦葉自らが上首となり、第一次の経典結集を行った。また、20年間、付法蔵 (教えの奥義を直伝すること)の第一祖となった。



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